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お人形様説明

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年2月28日更新

船引のお人形様

屋形のお人形様

屋形のお人形様の画像
屋形へ来てケロ!

屋形のお人形様の写真

芦沢地区で、朴橋のお人形様とともにまつられているもので、かつては街道の北側の丘に南向きに立てられていましたが、現在は、屋形地区の公園内に西向きにまつられています。
お人形さまの大きさは、背丈がおよそ4メートル、お面は高さが125センチメートル、幅80センチメートル、厚み10センチメートルという木彫りのもので、ベンガラによる赤、胡粉による白、砥の粉による茶、松煙墨による黒で彩色しています。現在の面は、昭和35年につくられたもので、この前の面は田村市歴史民俗資料館に収蔵してあります。
人形はまず支柱を4本埋め込んで立て、枠を組みます、現在の枠は昭和54年に作られたものですが、50年ごとに新しく取り替えられます。この4本の支柱の骨組みに桟をわたし、頭上には竹籠をかぶせ、支柱のまわりはムシロで囲んで胴とします。藁の腹帯には幣束をはさんで、右手にナギナタ、左の腰に刀をはさんでいます。
このほかに人形の部品として作るものには前掛け、耳、手、腕、帯、ナギナタ、木刀、幣束があり、前掛け、耳、手、腕、帯は藁で作られます。頭には杉の葉をタテガミのようにつけ、面のまわり全体に杉の葉によってヒゲがつけられています。
いつ頃からまつられたものか、詳細は不明ですが、現存する幟に文化15(1818年)年と、お人形様の面の向かって右側に文化5年(1808)旧3月15日と記されているところからそれより以前であることは確かです。
さて、なぜまつられたのかという詳しいこともわかってはいませんが、江戸時代この街道沿いに悪病が流行したため、以後悪魔がむらに入らないように魔よけとして立てられたといわれています。いわゆる人形道祖神というものでしょう。
幟には奉納天由布都々神(あめのゆうつつのかみ)、木札には奉 久比毘古命(くいびこのみこと)とあって須佐之男命(すさのおのみこと)との関連を伺わせます。
旧2月15日の「お衣替え」、旧3月15日の祭礼を、現在では毎年4月の第4日曜日にどちらも行っています。かつて衣替えと祭礼を別々の日に行っていたのは、越後のショウキ様の例にもあります。

朴橋のお人形様

朴橋のお人形様の画像
朴橋は高台じゃけえ!

朴橋のお人形様の写真

芦沢字朴橋地内にあるお人形さまで、現在の主要地方道郡山大越線に面した北側の丘の上に街道を見下ろすように立っています。現在は街道がお人形様の下を東西に大きくカーブして通っていますが、江戸時代後期はお人形様のある朴橋地区の北の花立地区を通っていました。したがって、朴橋のお人形様は岩城街道沿いにあったわけではなく、花立で交差する川俣街道のほうが近かったようです。
お人形様そのものの規模、顔の色調や信仰内容は、屋形のお人形様とほとんど変わりません。しかし、屋形の白い歯をむきだしにした大きい口とは違って口もとは小さく、しかも金歯です。また、屋形の獅子のようなひげに対してほおひげもなくさっぱりとした感じがします。一説に屋形のお人形様が男であるのに対して朴橋のものは、女といわれますが、鼻の下の黒く塗られた部分がひげ以外のなにものとも考えられないため、こちらも男性であるのは間違いないようです。要するに作られた集落の間での違いがこのようになったものと思われます。
朴橋のお人形様の歴史は、古い面にあった安政元年(1854年)の銘や幟からも長い歴史をもっていることがわかります。
幟に来納久比毘古命(くいびきのみこと)とあります。「久比毘古命」とは、古事記に「久延毘古は今に山田の曾富謄(そほど)という」とあり、「曾富謄」とは、すなわち案山子(かかし)のことで、案山子に与えられた神の名です。
一説に人形の由緒として、正永2年に里の住民が黒ほうそうやチフスの疫病にかかったので、久比毘古命をまつったとあります。
現在の面は、平成14年に作られたものです。衣替えや祭礼は、毎年4月の第2日曜日に実施されています。

堀越のお人形様

堀越のお人形様の画像
堀越は明石神社をめざすべし!

堀越のお人形様の写真

平成4年9月に明治40年以来87年ぶりに現在の三春門沢線と郡山大越線の分岐点にある明石神社境内に復元されたお人形様です。もともとは、神社から150メートル程西の堀越字丸森地内の畑の片隅に立っていたもので、つい先頃まではその畑内に立っていた跡が残っていました。
なぜ明治40年にお衣替えや祭礼が断絶したのかという詳しいことはわかっていませんが、おそらく明治38年の大飢饉に由来するものでしょう。これ以来お人形様の面は明石神社に収蔵されていましたが、地元の方々の努力によって復元されました。ですから、面は、屋形や朴橋のお人形様よりも古いものでおそらく江戸時代に作られたのでしょう。ケヤキの一枚板に一刀彫りで仕上げたものを新たに色づけした面です。
祭礼は、明石神社の祭礼にあわせ、新暦の5月4日に衣替えともども行うようになりました。

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