掲載日: 2023年12月1日更新
衆議院議員総選挙の第1回目は今から133年前の明治23(1890)年7月に行われました。福島県からは7人が当選し、その中に三春出身の河野広中(こうのひろなか 以下、河野)がいました。
河野は戊辰(ぼしん)戦争後、自由民権思想に目覚め、福島県議会、国会へと活躍の場を移し、第1回から第14回まで連続当選し、衆議院議長などを歴任した人物です(河野は明治6(1873)年に常葉戸長を務めていました)。
菅村太事
その河野の影響を受けて自由民権運動に参加した田村市の若者たちがいました。菅村太事(以下、菅村。1863~1934)はそのうちのひとりです。
菅村は北鹿又村(現・船引町北鹿又)に生まれ、10代の頃より自由民権運動に参加して活動しました。美山村会議員、美山村長、福島県会議員となり、河野が死去すると後継者として大正13(1924)年5月に行われた第15回衆議院議員総選挙に立候補し当選します。ここに田村市初の衆議院議員が誕生しました。菅村は第17回まで3期連続で当選を果たします。菅村の功績を讃える顕彰碑(けんしょうひ)が美山小学校の登り口に建っています。
助川啓四郎
なお、菅村に続いて衆議院議員になった人物に助川啓四郎(すけがわけいしろう)がいます(以下、助川。1887~1943)。
助川は片曽根村(現・船引町船引)に生まれ、14才で上京。早稲田中学に入学し、早稲田実業学校、早稲田大学へと進みます。帰村して大正4(1915)年28才の時に片曽根村長に就任しました。その後、福島県議会議員となり、昭和5(1930)年2月に行われた第17回衆議院議員総選挙に立候補し補欠当選します。助川は第21回まで5期連続で当選を果たしますが、議員任期中の昭和18(1943)年に満州に向かう途中、玄界灘(げんかいなだ)で遭難(そうなん)しその生涯を終えました。
竹久夢二
余談(よだん)ですが、この助川には早稲田実業学校からの旧友として竹久夢二(たけひさゆめじ 以下、夢二)がいました。夢二は数多くの美人画を描き、その作品は夢二式美人画とも呼ばれ、また児童雑誌のさし絵やデザイナーとしても活躍した大正ロマンを代表する画家のひとりです。その夢二が大正10(1921)年と昭和5年の2回、助川を船引町に訪ね、画会を開催しています。2人の出会いの心を大切にし、文化の窓を広げたいという目的で、昭和55(1980)年に市図書館の2階に「夢二ルーム」を設け、夢二の書画や書籍などとあわせて助川の関連資料なども展示しています。
今回掲載の人物については市史5「田村市ゆかりの人物」にまとめてありますので、興味のある方はぜひお手にとってご覧いただければと思います。
所在 菅村太事先生之碑(田村市北鹿又字後和田地内・美山小学校登り口)、夢二ルーム(田村市船引町船引字扇田地内・田村市図書館2階)
見学 自由
(たむら市政だより令和5年12月号より。内容は当時のもの。)
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