鬼五郎幡五郎物語
一千年の時を越えて語られるやさしい鬼の伝説
鬼が名物といっても、ふるさと愛にあふれた鬼のお話です。
一千二百年も、むかしのこと。蝦夷地平定に訪れた坂上田村麻呂からこの地を守ろうとしたのが、鬼五郎・幡五郎兄弟。武道にすぐれた鬼五郎と、兄亡き後治世を行った幡五郎は故郷を愛した英雄として語り継がれています。
【鬼五郎・幡五郎太鼓】
一人打ち奥州・猿羽流一門の流れを組む創作太鼓。大太鼓・長胴太鼓・締胴太鼓で構成され、町内外のイベントで勇壮なリズムでバチさばきを披露しています。
白鳥神社額
鬼五郎・幡五郎伝説
その昔、早稲川の里に里の長である鬼五郎と、弟の幡五郎の兄弟が住んでいました。二人は力を合わせ、先祖から受け継がれてきたふるさとの田畑を守り、さらに豊かにしようと、里の人々の先頭に立って働いていました。
政府の蝦夷討伐がはじまったのはちょうどこの頃、陸奥(東北地方)の平定を大義に掲げる政府軍を率いた坂上田村麻呂が、この地にも攻め入ってきました。これに猛然と立ち上がったのが阿武隈山系一帯に勢力をふるっていた大多鬼丸。もちろん彼の部下であった鬼五郎もまた、秀でた武術を発揮し、政府軍を迎え撃ちました。しかし、ねばる政府軍を前に戦いは長期戦へともつれこみました。
しかし、激しく長い戦いの中で奮闘を重ねた大多鬼丸軍にしだいに敗色が濃くなり、仙台平まで追い込まれてしまいました。「お前は生きのびて立派に守ってくれ。わしは死んでも鬼となってこの地を見守ろうぞ。」と鬼五郎は弟に言い残し、壮絶な最期を遂げました。愛するふるさとのため、勇敢に戦い抜いた鬼五郎と、兄の遺志をつぎ豊かな早稲川の里づくりに励んだ弟・幡五郎。ふるさとを愛した兄弟の想いは今も人々の胸に脈々と生き続けています。
鬼五郎・幡五郎兄弟のブロンズ像
(平成2年に設置)