掲載日: 2022年10月7日更新
昨年(2021年)、青森県の三内丸山遺跡をはじめとした北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録されました。この中で秋田県の大湯環状列石や青森県の小牧野遺跡など4遺跡は環状列石がある遺跡として有名です。環状列石とはストーンサークルとも呼ばれ、石を直径30~40mの円形上に配置したものです。それぞれ作られた時期は違いますが、概ね縄文時代前期末(約6000年前)から後期前半(約4200年前)にかけて作られています。なぜ作られたのか、その詳細は完全にはわかっていません。これまで墓地説や祭事場(祭りごとを行う場)説などが有力視されてきましたが、最近では天体運行に関連する説も唱えられるようになってきました。
船引町北鹿又にある前田遺跡では、1968(昭和43)年の発掘調査で環状列石が見つかり、日本最南端の環状列石遺跡として、すぐに福島県指定史跡となりました。現在では、静岡県や長野県など東日本の各地で発見されているため、日本最南端ではなくなりました。
同年の調査は環状列石全体に及んでいなかったことから、2000(平成12)年~2004(平成16)年にかけて新たに発掘調査を行ったところ、残念ながら列石は半周しか巡っていませんでしたが、その際に環状列石の外側から縄文時代中期(約5000~4000年前)の竪穴住居跡が50軒見つかりました。この時の調査は環状列石を中心に行ったため、前田遺跡と推定される範囲全体を調査することはできませんでしたが、すべてを調査した場合、250軒以上の竪穴住居跡が見つかる可能性があります。
また、これまで福島県内でもほとんど出土したことがない2つの口を持った双口土器(市指定)と呼ばれるものや上方が円形で注ぎ口が付き、下方が四角形の注口土器など非常に珍しい土器が出土し、通常の縄文時代の遺跡とは違った性質を持つことがわかりました。これらの土器は通常の生活に使用するものとは違い、何らかの祭事に使用されることが多いため、前田遺跡が祭事にまつわる遺跡であったことを物語っています。
また、前田遺跡の環状列石は一度にすべての石を並べたものではなく、直径1~2m程度の石群がいくつも並べられて半周しており、それぞれの石群の下位には穴が埋められた状態でした。いくつか調査した穴の中からは鹿やイノシシの骨が出土しており、当時暮らしていた縄文人が、自分たちの食料となったそれら動物を供養するため、環状列石を作っていったとみることができます。そして環状列石の西側には通常の生活に使用したとは考えられないほどの非常に巨大な炉(煮炊きする場)が見つかっていることなどから神様が与えてくれた食料への感謝をこめて祭りごとが行われていたようです。
市内には前田遺跡のほかにも多くの遺跡があり、都路町の石橋遺跡は縄文時代前期の遺跡として市指定史跡になっており、2022(令和4)年夏に竪穴住居跡が復元されました。
また、市内から出土した土器のうち最も背の高い縄文土器(都路町鳥伏遺跡)や中世の深谷館跡(大越町)から出土した小さな金銅仏、船引八幡遺跡(現在の船引中学校敷地)から出土した北陸地方の影響を引く土器が考古資料として市指定文化財になっています。これらの一部を船引公民館で展示しています。
所在 田村市船引町北鹿又字平畑地内
見学 見学自由
文化財 前田遺跡(県指定)、石橋遺跡・双口土器・小金銅仏(鎧仏)・火炎状把手付鉢形土器・深鉢形土器(市指定)