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「石造物」 令和4年8月号掲載

掲載日: 2022年10月7日更新

道路のかたわらや神社寺院の境内などに見られる「石造物」(ここでいう石造物に墓石・墓標は含みません)。それらは私たちの先祖がさまざまな願い・祈りをこめて造立したものです。市内には中世から昭和時代にかけての石造物が約3,000基確認されていますが、今回は市指定有形文化財7基を中心に紹介します。

市内で最も古い紀年銘の石造物は、船引町門鹿字樋ノ口(といのくち)地内を通る国道349号側の①「樋ノ口供養塔」です。娘を亡くした親が造立したもので、1292(正応5)年の銘が刻まれています。門鹿地区にはほかに小砂田(おさごだ)地内に嘉1305(元3)年銘の②「小砂田供養塔」があります。
特(生涯学習課)文化財連載_樋ノ口供養塔

同町文珠字南地内の萬福寺(まんぷくじ)境内には、阿弥陀如来の種子(しゅじ)「キリーク」がはっきりと読み取れる、1312(正和元)年銘の③「萬福寺供養塔」があります。
萬福寺供養塔萬福寺供養塔(内容)

同町上移字竹ノ花地内の④「竹ノ花供養塔」は、南北朝期の南朝年号である1340(興国元)年銘が刻まれ、当時その辺りが南朝方に属していたことを物語ります。
竹ノ花供養塔

大越町下大越字壇野平(だんのひら)地内の⑤「石造阿弥陀三尊来迎供養塔(壇野平)」と同町下大越字町地内の⑥「石造阿弥陀三尊来迎供養塔(町)」の2基は、ともに造立年代は不明ですが、平安時代中期以降に広まった浄土信仰の影響により造立されたものと推測され、来迎供養塔は市内にこの2基しか存在せず、大変貴重なものです。

常葉町久保字川久保地内を通る国道288号側の⑦「三界万霊等(さんがいばんれいとう)」は、1816(文化13)年に三春藩主・秋田孝季(たかすえ)が、1783(天明3)年の大飢饉で亡くなった領内1,500余名の33年忌の追善供養として造立したものです。石材を常葉字桧ノ作地内より割り出し、延べ1,600人の人夫が20日間を要して現在地に運んだと伝わります。
特(生涯学習課)文化財連載_三界万霊等.JPG

市内約3,000基の石造物で最も多い種類は「馬頭観世音塔(ばとうかんぜおんとう)」で、全体の30%を占めます。田村地方が江戸時代から昭和初期にかけて馬産が盛んであったことから、馬の育成や供養のため、また街道の通行の安全などを願って造立されました。
次に多い種類は「庚申塔(こうしんとう)」で全体の12%。江戸時代に流行した庚申信仰がこの地方にも深く浸透していたことがわかります。
ほかに日待塔(ひまちとう)・月待塔(つきまちとう)、湯殿山碑(ゆどのさんひ)などの山岳信仰に関する塔、山神塔などの自然に関する塔、地蔵菩薩像塔などの種類がありますので、身近な文化財として、普段なにげなく見ている石造物に心寄せていただければと思います。

information

所在 田村市地内 ※生涯学習課へお問い合わせください。
見学 見学自由
文化財 石造阿弥陀三尊来迎供養塔(檀野平)・石造阿弥陀三尊来迎供養塔(町)・三界万霊等・萬福寺供養塔・樋ノ口供養塔・小砂田供養塔・竹ノ花供養塔(市指定)

たむら市政だより

R04.08市政だより_page-0001

たむら市政だより令和4年8月号より。内容は当時のもの。)

 

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