世界の舞台で「進化」し続ける
Challenger Vol.3で紹介した本田凜さんは、この夏、U20日本代表メンバーに選出され、7月4日から11日までカザフスタンで行われた「第21回アジアU20(ジュニア)女子選手権大会」に出場しました。チームは見事アジアで優勝。凜さんは、多くの試合でスターティングメンバーとして出場するなど、勝利に貢献しました。高校を卒業して約半年。早くも憧れの「日の丸」を背負う夢を現実にし、世界の舞台に挑戦、進化し続ける「凜ちゃん」が、今感じていることとは―。
本田 凜(筑波大学 1年/滝根町出身)
Profile
- 生まれ/2003年7月9日、滝根町
- 身長/177㌢
- ポジション/ミドルブロッカー(最高到達点:296㌢)
- バレー歴/滝根中学校卒→郡山女子大学附属高校卒→筑波大学1年→2022年6月「第21回アジアU20(ジュニア)女子選手権大会」U20日本代表メンバー選出、アジア優勝に貢献
U20日本代表選出、初めての「世界の舞台」
U20日本代表に選ばれたと伝えられた時は、何かの間違いかと思いました(笑)。中学時から、候補選手として選考会に行くことはあっても、ほとんど選ばれることはなく、「今回もダメかな…」と正直、自信はなかったですが、「やっぱり選ばれたい」と強く思って選考会に挑んでいたので、本当にうれしかったです。
初めての外国人選手との対戦。パワーや高さ、勝ちにこだわる姿勢など日本人相手とは違ったやりにくさを体感し、代表としてコートに立っている以上、結果を出してチームに貢献しなければならないというプレッシャーも感じていました。その時、自分になにができるか考えたら、高校時代に学んだ「ブロード攻撃※」。試合を重ねるうちに外国人選手にも通用する手応えを感じて自信になり、自分にしかこのポジションをできないという爪痕を残せたと思っています。
※ブロード攻撃:ミドルブロッカーがライトの方に走っていきながら低くて速いトスを打つ攻撃のこと
【写真】U20日本代表メンバー
【写真】「背番号7」
高校時代の3年間「7番」として活躍した思い入れのある番号。U20日本代表でも「背番号7」。たまたまこの番号だったとのことですが、何かの縁があると思わずにはいられません。
次の目標、さらなる「進化」
目標の一つであった同世代の一流選手たちと同じコートに立つ夢を叶えることができたので、次はもう一度世界の舞台で戦って、「1番」を取りたい。
そのために、世界大会(2023年9月)の選考会に向けて、「やっぱりこのポジションは凜にしかできない」と思ってもらえるように、進化した自分を見せられるように、大学で力を発揮して活躍できるように頑張ります。
【写真】「第21回アジアU20(ジュニア)女子選手権大会」の様子
(大会写真提供:AVC アジアバレーボール連盟)
母校、郡山女子大学附属高校バレーボール部の恩師・後輩から応援メッセージ
佐藤 浩明 監督
U20日本代表に選出され、予想より少し早かったと感じましたが、凜はメンバーに入るべきだと思っていたので、ようやくここまで行けたと感じました。
次はまず大学の自チームでレギュラーをとり、個人賞を狙うこと。そうするとさらに上に行ける。謙虚さは彼女のいいところだが、もっと自信をもって取り組んでほしい。目標を見失わず、信じるものだけ信じて頑張ってほしい。
3年 浅利 麻央 選手(背番号7・現エース)
身近にいた存在が遠い存在になってしまった感じもありますが、プレーだけでなく、日常生活でもバレーボールのために緻密にやっている方なので、今でも尊敬する憧れの先輩です。
試合で元気に喜ぶ姿など技術面だけでなく、人間性がとても優れているところが魅力。凜さんらしいプレーをこれからもたくさん見たいし、頑張っている姿を見ると私たちも頑張ろうと思えます。ずっと応援しています。
たむら市政だより2022年9月号掲載
(たむら市政だより2022年9月号より。内容は当時のもの。)
オフショット
大会終了後、実家に帰省されたタイミングで田村市役所を訪れてくださった凜さん。
憧れていた同世代の選手たちとの大会参加は、疲れや嬉しさ、いろんな感情が入り混じった「不思議」な時間だったとのこと。
気になる開催地カザフスタンでのご飯は、「イマイチ…」だったようですが、体調を崩すことなく試合に集中できたようです。
ユニフォーム姿、優勝メダル、それはもう立派な「日本代表」で感激のあまり鳥肌が立ちました。今後の活躍も楽しみにしています。がんばれ凜ちゃん!
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- (2022年3月1日更新)Challenger Vol.4 本田 凜(Rin Honda)さん 郡山女子大学付属高等学校3年/バレーボール部
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