やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい。
2022年11月20日のふくしま駅伝をラストランに、鼡田章宏さんが陸上を引退しました。走ることの楽しさを学んだ小学時代、走り続けることの厳しさを知った中学・高校時代を経て、大学時代は憧れの箱根駅伝の「山登り」で有名な5区に3年連続で挑み、実業団では引退する直近の大会でも自己ベストを出すなど、最後まで自分の記録に挑戦し続けました。引退し、19年間という競技人生を終えた今の心境を伺いました。
鼡田章宏(株式会社セキノ興産/常葉町出身)
Profile
- 生まれ/1997年4月17日、常葉町
- 競技歴/関本小(ときわランナーズ所属)→常葉中(特設陸上部、ふくしま駅伝田村市チーム)→田村高校→国士舘大学→㈱セキノ興産→ふくしま駅伝(2022年11月20日)をラストランに陸上競技を引退
- 好きな食べ物/ラーメン
- 座右の銘/何事も挑戦
「挑戦」し続けた陸上人生
大学時代からのケガもあり社業に専念すると決め、昨年のふくしま駅伝を最後に陸上を引退しました。走り終えてみると、もっとこうしておけば良かったとか悔やむことがあるかなと思ったのですが、スッキリと終われて、良い陸上人生だったと思っているところです。ふくしま駅伝をラストランにすることは、引退を考える前から決めていたことでした。ずっと応援してくれていた両親や親戚、先生やふくしま駅伝田村市代表のスタッフの方々も福島ですし、地元で練習していた時は「頑張ってね!」と知らない人にも声援をもらっていて、今の自分がいるのは本当に地元の人たちのおかげだとしみじみ思いながら競技を続けていたので、育ててもらった地で自分の最後の走りを見てもらいたいと思い走らせてもらいました。
陸上は、兄姉の影響で小学1年生の時にときわランナーズで走り始め、実業団まで19年間続けてきました。その中で特にターニングポイントになった出来事は、大学時代に同じ常葉町出身で1学年上の戸澤奨さんから「鼡田とタスキをつなぎたい」と言っていただいたことです。大学1年の記録が伸び悩んでいた時期でしたが、この言葉があって箱根駅伝を本気で目指すと気持ちを切り替えて練習に励むことができました。実際に、2019年の第95回大会では戸澤さんとタスキをつなぐことができ、小学生の時から一緒に走ってきたので、とても感慨深い気持ちになりました。最終的に、実業団でも走ることができたのは箱根駅伝の成績があったからだと思うので、とても感謝しています。
また、実業団へ進むか迷っていた時には、幼馴染の渡辺峻広さんに「やってみたらいいじゃん」と背中を押してもらい、もう一つ上のステージに進む決意ができました。今の自分がいるのは目標となる先輩や幼馴染、これまでサポートしてくれた方々がいてくれたからだと実感しています。
これからは社会人として新たな人生をスタートさせます。これまで陸上を続けてきたことで多少の辛いことでは負けなくなったと思うので、これまでの経験を糧に社会人として「挑戦」し続けていきたいと思っています。
後輩に向けて
陸上生活で学んだことは、自分一人では何もできなかったということ。今の自分がいるのは周りの人のおかげで、だからこそ次のステージに行けると思います。例えば、学校までの送迎、早朝に朝ごはんやお弁当を作ってもらえるのは普通のことではありません。当たり前のことに感謝しながら、競技に挑んでほしいです。
鼡田選手、これまでの活躍 ―
常葉中学校時代「第54回田村支部中学校駅伝競走大会で優勝」 ※左から1人目
(写真提供:鼡田さん)
田村高校時代「第61回福島県高等学校体育大会の様子」 ※左から4人目
(写真提供:鼡田さん)
国士舘大学時代「大学2年時から3年連続出場した箱根駅伝、5区の山登り」
(写真提供:鼡田さん)
株式会社セキノ興産「実業団での大会の様子」
(写真提供:株式会社セキノ興産)
第41回田村富士ロードレース大会「招待選手として出場、地元の後輩たちと」
第34回ふくしま駅伝「ラストラン、家族や親戚の応援団に笑みがこぼれる」
たむら市政だより2023年1月号掲載
(たむら市政だより2023年1月号より。内容は当時のもの。)
オフショット
お話しの中で19年間の陸上競技生活を振り返り、これまでお世話になった方々の実名を上げながら思い出話や感謝の気持ちを言葉にする姿がとても印象的だった鼡田さん。
たくさんサポートしてくれた方々がいたからこそ陸上を続けることができたと話してくださいましたが、その謙虚な姿勢を持つ鼡田さんだからこそたくさんの人が応援したのだと感じることができました。
今後の鼡田さんの新しい「挑戦」にも注目ですね。まずは19年間本当にお疲れさまでした。
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