掲載日: 2023年2月1日更新
寺社仏閣に願い事をするとき、願い事が叶った御礼をするときに奉納する絵馬。その起源は、古代に神馬(しんめ)として神様に生きた馬を献上したことに由来し、奈良時代になり馬の絵を描いた板が見られるようになりました。その後、馬だけでなく様々な絵が描かれ、江戸時代になると奉納絵馬の風習が庶民に大いに広がり、願い事も無病息災など多種多様になりました。
市内の寺社仏閣には大小様々な絵馬が奉納されています。以前紹介した「算額」(令和4年3月号掲載)も絵馬の一種です。市指定の絵馬(算額含まず)は44面あり、そのうちいくつかを紹介します。
半肉彫金魚(はんにくぼりきんぎょ)の図
まず、一番古い絵馬は、船引町芦沢字淀に所在する虚空蔵堂に奉納された、1665(寛文5)年銘(めい)の「半肉彫金魚の図」です。作者は不明ですが、半肉彫(浮き彫りの一種)の魚型に、金粉を塗布し貼りつけた優れた工芸絵馬です。
念仏奉唱(ねんぶつほうしょう)の図
次に、一番大きい絵馬は、船引町堀越字大門に所在する大風薬師堂に奉納された、1893(明治26)年銘の「念仏奉唱の図」で、縦141㎝、横261㎝あります。絵師は不明ですが、船引町堀越・門沢の念仏講中(こうちゅう)の様子が描かれ、当時の庶民の風俗を知ることができる貴重な絵馬です。
曳馬(ひきうま)の図
次に、江戸時代の三春藩を代表する絵師が描いた絵馬に、船引町芦沢字光大寺に所在する薬師堂に奉納された、1822(文政5)年銘の「曳馬の図」があります。絵師は馬描きの名人といわれた藩士・徳田研山好時(とくだけんざんよしとき)で、絵ばかりでなく馬術にも優れた有能な武士でした。墨一色の濃淡と太い線で描いた研山の馬は気品と重量感にあふれ、この絵馬は保存状態もよく市内屈指の作品です。なお、好時の子の好展(よしのぶ)も絵を描き、研山号を受け継いで2代目研山と呼ばれ、市内に多くの絵馬が残ります。
馬籍(ばせき)の図
最後に、船引町新舘字下に所在する日渡神社に奉納された、1849(嘉永2)年銘の「馬籍の図」(2面)には、三春藩西北部の26村880余頭の飼育馬が描かれ、村名や飼主名も記されています。絵師の雲龍斎移岳については不詳ですが、県内でもこれほどの馬が描かれた絵馬はなく、この地方で馬産が盛んに行われていたことを物語る貴重な資料です。
市指定文化財(絵馬)
こちら(「市の文化財一覧」(3)市指定文化財 番号30から49)から詳しい内容を確認いただけます。
所在 半肉彫金魚の図(田村市船引町芦沢字淀地内 虚空蔵堂)、念仏奉唱の図(田村市船引町堀越字大門地内 大風薬師堂)、曳馬の図(田村市船引町芦沢字光大寺地内 薬師堂)、馬籍の図(田村市船引町新舘字下地内 日渡神社)
見学 文化財については要問合せ。
文化財 絵馬44面(全て市指定)
※虚空蔵堂は標柱が見印です。