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「旧大越娯楽場」 令和4年6月号掲載

掲載日: 2022年10月7日更新

2007(平成19)年7月31日に田村市初の国登録有形文化財となった旧大越娯楽場(以下、娯楽場)は、大越町上大越字町1番地にあります。

今(2022年)から96年前の1926(大正15)年5月に完成した娯楽場は、正面が左右対称な切妻(きりつま)屋根の当時としてはかなりモダンな欧風建築で、内部には舞台や桟敷(さじき)席などが設けられ、芝居や映画などの興行が行われました。また、当時の主要産業であったたばこや繭の集出荷場としても利用されました。
娯楽場上棟式(大正15年2月9日)娯楽場内部(建設当時)

この娯楽場建設に大きく関わった人物に宗像利吉(りきち)と今 和次郎(こん わじろう)がいます。
上大越に生まれた宗像利吉は、若い頃より「たばこ作りの名人」と呼ばれ、田村地方はもとより福島県の葉たばこ耕作発展に大きく貢献し、全国煙草耕作組合中央会副会長などの要職を務めました。その利吉が力を注いだものに農村生活者の生活向上もありました。若者の農村離れを心配し、農村にも娯楽が必要と考えた利吉は、1921(大正10)年に親交のあった国の役人を介し、早稲田大学教授であった今和次郎に娯楽場設計を依頼します。日本各地の古民家調査を経て農村建築研究への造詣を深めていた和次郎はその依頼を受け、設計に着手し、農村には珍しい洋風な外観を持つ劇場建造物が完成しました。

しかし、太平洋戦争や時代の変遷とともに娯楽享受のかたちも変わり、劇場としての利用がほとんどなくなったため、1955(昭和30)年頃に舞台や桟敷席が取り払われるなどの改修後、大越町公民館や教育員会事務室などに使われ、現在は大越武道館と改称し利用されています。

建築学者・今和次郎の設計で、建て替えが行われず、当時のモダンな外観を維持している建造物は全国でもこの娯楽場しかなく、1945(昭和20)年8月の大越大空襲や2011(平成23)年3月の大地震などをくぐりぬけてきた市の歴史を語る上で誇るべき建造物です。
特(生涯学習課)文化財連載_娯楽場写真③.JPG

なお、娯楽場設計図などの今和次郎関連資料を有する工学院大学が作製した娯楽場の模型が市に寄贈されており、その模型が2022(令和4)年6月4日より福島県立美術館で開催された企画展「東北へのまなざし1930-1945」で展示されました。

その他写真

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information

所在 田村市大越町上大越字町1
見学 見学自由。ただし、館内見学希望の場合は生涯学習課へお問い合わせください。
文化財 旧大越娯楽場(国登録)

たむら市政だより

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たむら市政だより令和4年6月号より。内容は当時のもの。)

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