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「お人形様」 令和4年5月号掲載

掲載日: 2022年10月7日更新

全国的に有名な磐城(いわき)街道沿いのお人形様は船引町芦沢屋形と朴橋(ほおのきばし)、堀越明石神社境内の3カ所に祭られており、その製作と習俗について福島県無形民俗文化財に指定され、この場合のお人形様は「オニンギョウサマ」とカタカナで表記されています。

磐城街道沿いのお人形様は、明治初期には「磐城街道の五人形」とか「七郷沢の五人形」と呼ばれていましたが、現在では3カ所のみに伝承されています。
そのほかに五人形の候補地として、神社の厄病除御守にお人形様の姿が描かれている三春町芹ケ沢の津島神社、伝承が残る船引町芦沢光大寺、人形前という地名が残っている大越町牧野大在木、天王様と呼ばれる高さ1.4mの大きな面が残る滝根町広瀬地区が挙げられます。

面はかつてベンガラの赤、胡粉の白、砥の粉の茶、松煙墨の黒で彩色されていましたが、現在は三体ともペンキが使用されています。
現存する三体のお人形様は、それぞれ規模や面の表情が全く違います。

屋形のものは背丈が約4mあり、面は1960(昭和35)年に作られたものです。人形本体は周辺の4つの洞から一本ずつ持ち寄った4.8mの柱を80㎝ほど埋め込んで枠が組まれ、そのまわりをムシロで囲み、頭には竹籠(たけかご)をかぶせて、杉の葉をつけています。支柱となる柱は50年ごとに取り替えられます。面の塗り直しやムシロ、杉の葉の交換は毎年4月に「衣替え」と呼ぶ行事の中で行われます。
船引駅のホームに飾られているお人形様は屋形のものをモチーフにしていますが、宮城県多賀城市にある東北歴史博物館の藁人形展示コーナーの中央にも屋形のお人形様が展示されています。
屋形のお人形様.JPGIMG_7081屋形.JPGweb_200726_2641_屋形お人形様衣替.JPG

朴橋のものは、面の色調は屋形のものとさほど変わりはないものの歯が金色に染められており、お人形様そのものの規模も2.5mと屋形より一回り以上小さいものです。また屋形の獅子のようなヒゲに対してホオヒゲはなく、さっぱりとした感じがします。朴橋のお人形様の衣替えは、毎年4月第2日曜日に行われています。現在の面は2002(平成14)年に作られたもので、その前に使用していた面は千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に作られたお人形様の面に使われています。
20220410_朴橋のお人形様2.JPG20220410_朴橋のお人形様.JPG

堀越のものは、1992(平成4)年に87年ぶりに復元されたお人形様ですが、明治30年代まで飾られていた面を使用しています。この面はケヤキの一枚板に一刀彫で仕上げられたもので、復元の際にお人形様に覆屋がされました。明治までは船引南中学校敷地の畑に立てられていたようです。
堀越のお人形様.JPGIMG_6968堀越.JPG

いつ頃から立てられたのかは不明ですが、屋形の古い幟に1818(文化15)年、朴橋の古い面に1854(安政元)年とあることから江戸時代後期にはあったことがわかっています。
江戸時代は、赤痢やコレラといった伝染病が何度か起こっています。そのため、幕府はそれぞれの村の境に立て札などを立て、村への侵入を防ぐようにとの命令を出しています。立て札の代わりに大きな人形を立てることで、疫病が村へ入ることを防ぐとともに村人の家内安全、子孫繁栄、五穀豊穣を願って村境に立てて、祭ったと思われます。

※ベンガラ(弁柄・酸化鉄から作られた顔料)
※胡粉(ごふん/貝殻から作られた顔料

information

所在 屋形のお人形様(田村市船引町芦沢字すくも田前地内)、朴橋のお人形様(田村市船引町芦沢字朴橋地内)、堀越のお人形様(田村市船引町堀越字明神前地内)
見学 見学自由
文化財 磐城街道沿いのオニンギョウサマ制作の習俗(県指定)、屋形のお人形様・朴橋のお人形様(市指定)
見頃 例年4月に衣替えが行われます。くわしくはこちらのホームページをご覧ください。

たむら市政だより

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たむら市政だより令和4年5月号より。内容は当時のもの。)

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